前回の「完成」をUPした前日の26日2時半ごろ。
残材などを片付けトラックに積み込み、一人で事務所に戻り、仕分けしながら駐車場に降ろしました。
かなりの量があったのですが、この時は一緒に片付けをしていたSさんには現場に残ってもらい、一人で
運搬したのです。
午前中はSさんに玄関デッキの仕上げをしてもらい、私はメインデッキ(3mx6m)の2回目の塗装(キシラデコール)
を3時間あまりかけて行っていました。
梅雨明け後の厳しい炎天下での作業と引き渡しを翌日に控えた安ど感と、これまでの肉体疲労の蓄積があったものと
思われます。
トラックを空にした私は、材料を置いてあった「馬」7対を片付けるため、「最後の運転」で現場に向かいました。
道も空いていて、鼻歌が出るような気分で、「りんどう大橋」を渡り、鳥野目街道の信号も「ぎりぎり通過」。
何十回と通ったいつもの道を順調に走行していました。
現場まであと1Kmあまりの左カーブに差し掛かった時、対向車に昔(昭和46年ごろ)のフェアレディーZを発見。
20代に1年ほど乗った事がある車に、一瞬、見とれたのです。
普段、対向車に興味があるときは、車種は無論、ナンバーまでも見ることはよくあることです。
しかし、この時は、「一瞬」ではなかったようで、、、、
突然の「衝撃」の後は、まるで映画の暴走シーンを見ているようでした。
何とか歩道から車道に戻らなくてはという「意識」、ブレーキやギアシフトの事は覚えていません。
歩道の脇はトウモロコシ畑が広がり、歩道との落差は約80cm。
30mほど「暴走」したところで、脱輪し車体が傾き、前方のガードレール(とは言え、歩道用)の激突しました。
「激突」の瞬間は「すごいショックを覚悟」し、ハンドルをしっかり握ったことは覚えています。
しかし、予想に反して、ショックは全くと言っていいほどありませんでした。かすり傷も、打身も、ムチ打ちも無く
全くの「無傷」。
このガードレールがパイプ状で柔らかく、それがフロントのボディーに3か所に渡り
突き刺さったため、ショックを和らげるとともに、畑への横転を防いだ事はあとから判った事です。
土曜日の午後で交通量も多かったのですが、他の車を巻き込むこともなく、歩道上に人もなく
トラックだけの廃車で済んだことは、まさに不幸中の幸いでした。
保険会社への連絡(レッカー移動)、警察への連絡(事故証明)、道路管理者(那須塩原市)への挨拶などを終え、
本日、トラックも廃車手続きを済ませました。
事故直後、トラックも壊れたことだし「もう、ログハウス建築は潮時」かと思いましたが、立会いの警察官が「仕事を辞めたら
ボケるから、止めたらだめだ!」と一言。
「そうだ、事故ったから止める」のでは、「納得できない」と、思いとどまり、今後もしばらくは、ログハウス建築を
継続する事に決めました。
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