起業10年余りを振り返って

本日の天気予報は「快晴」、しかし、3時間ほど前から雨が降り出し、おまけに「雷」まで。

仕方がないので、部屋の片づけをしていると、2002年3月31日付横須賀市の「辞令」が2枚出てきました。
そうです、横須賀市を退職した時の(すなわち私が自営業を始めたときの)2枚の紙切れです。

1枚は「昇給」もう1枚は「退職金額」が記載されています。

当時の私の役職は「主幹」・・・なんだかわかりませんが、中間管理職で、課長未満・係長超えの立場です。
勤続年数は28年。学歴は「高卒」(入所当時「専門学校」は学歴としては認められていませんでした)、在職中に神奈川大学第二法学部法律学科卒業。

その時の退職金額は2500万円余りでした。(自宅のローンや貸別荘建築ローン、それに那須の事務所用地購入のためのローンなどが残っていたため、実際に手にした金額は800万円程度)・・・とても、恵まれていたと思います。

ローンや税金などを支払い、残ったお金で事務所の建築を行い、無一文(とはいっても、1年分の生活費と貸別荘と事務所という資産は持ていました)から始めた自営業でした。

私は50歳、妻は42歳からのスタートです。(この時、一人娘の彩子は高校3年生になったばかりでした)

夫婦2人で那須の自宅を作り上げ(勿論、多くの助っ人がありました)、初めての二人だけの生活のスタートでもありました。
(今にして思えば、娘の彩子に多くの負担や不安を与えてしまったと、反省しています。が、彼女は理解をしてくれ、自身も逞しく成長してくれました。)

全くの「素人」が特段の経営方針も持たず、始めた「手作りログハウスの貸別荘業」と「ログハウスキット販売業」。
多くの元同僚たちは「うまくいくわけないんじゃないの?」なんて思っていたかもしれません。

でも、友人の一人のE氏(高校の同級生で4人しかいない友人の一人。東京都に勤めながら、キャリアアップし、特許庁へ。審査官を経て・・・)は、起業に際し、お祝いとともに「君はきっと成功すると思う」「自分だけでは限界があるから、人を雇って事業を進めるように」と励ましの手紙が・・・・実は、その時は読んでいなかった?・・・先ほど発見。

脱サラは事業開始5年前から決意し、在職中にログハウスに関する知識や建築に関するノウハウ、輸入の実務、貸別荘業のノウハウなどを積み重ねてはいきました。

「建築」に関しては、「建築確認申請」という法律上の事務仕事と「ログハウスを組み立て、内部造作・設備設置」などの実務工事の両方を自身の3棟のログハウス建築を通じて学びました。

また、輸入に関しては、5年間で15棟ほどのログハウスを「個人輸入」という形で全国(「香川県・長野県・山梨県・神奈川県・栃木県・北海道)にお届けしました。

貸別荘は管理を地元の方にお願いし、自身ではHPによる営業で2棟の手作りログハウスを運営しました。

起業以降、地元の一級建築士の方と知り合い、「一級建築士事務所」(M&N FINLAND LOG HOUSE)を開設。(2年後に閉めました・・建築士転居の為)
2009年には建設業許可を取り、本格的に建築工事を請け負うようになり、現在に至っています。

ログハウス販売と建築の仕事は私が、貸別荘業は妻がそれぞれ担当しています。

起業後販売したログハウスは40棟余。(4畳から10畳程度のミニログが10棟ほど含まれます)
それでも、全く売れない年(昨年)があったり、たくさん売れて、多くの税金で苦労したことも。

貸別荘業も年間売上650万円から750万円(稼働日数各棟約100日程度)で推移し、安定財源として重要なポジションを占めています。
(可処分所得としては350万円から450万円程度です・・・念のため)

夫婦ともフルタイムの忙しいサラリーマンでしたから、那須での「田舎暮らし」はとても魅力的です。(忙しい時期(夏休みなど)は別にして、のんびりした生活が基本です)

これまでは横須賀の自宅に母が暮らしていたため、月1回の帰宅(約5日間)と、維持費がかかりましたが、昨年末から母も一緒に那須で暮らすようになりましたので、少し負担(時間も費用も)が減りました。

また、本年1月より「共済年金約109万円」が出ていますが、こちらは老後の蓄えに回しています。

以上、「片づけ」から脱サラ10年の「現状報告」になりましたが、脱サラを検討している皆さん!!

「衣食住」「隙間産業」「田舎暮らし」「自分らしさ」をキーワードとした脱サラおじさんも居るということを参考にしてください!!

これを書き終えたところで、「快晴」になりました。・・・これからお客様の対応と草取りを行います。

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