懐かしい思い出(その1)

たった今「オーラの泉」というTV番組を夕食の後片付けをしながら見ていました。(後片付けはなるべく妻に協力しています)霊とか占いなどにはまったく興味が無く、この番組も見たことはありません。が、今回のゲストが「小泉孝太郎」君でしたので、思わず見てしまったのです。

実は私、孝太郎君が芸能界にデビューする前に一度、京急「金沢八景駅」近くでお会いしているのです。「頑張ってね!」と握手をしたことを懐かしく思い出しました。

市役所を退職する直前の1年間、この駅の傍にある英会話教室に通っていたのです。「NIINIKOSKI」との取引に英語は欠かせませんので、少しでも意思疎通ががスムースに行えるようにと通ったわけです。(残念ながら英語は「もの」になりませんでしたが、「度胸」だけは身につけました)

この教室はメジャーの「会話学校」ではなく、アットホームな雰囲気でクラスも5~6名程度、時には先生と2人きりなんていうこともありました。この教室の同じクラスに19歳の学生がいました。

この教室では彼の方が「先輩」でしたが、とても礼儀正しく、今時の若い人には珍しく「好青年」との印象を持っていました。その彼が小泉純一郎代議士の二男のS君と知ったのは通い始めて3ヶ月くらいたってからです。(その後、娘の彩子もこの教室に通い、高校2年生の時にはオーストラリアに3週間ホームステイをしましたが、S君もリーダーとして参加。現地でのリーダー振りを聞いています)

1年間、週2回程度の英会話教室でのお付き合いでしたが、彼の振る舞いを通して父親である「純一郎」氏の人となりを評価するようになった事を覚えています。また、きょうのTVで孝太郎君が「尊敬する人は?との問いに迷わず「父」です」と答える姿を見て、その時の印象と重なりました。

直接小泉代議士とお会いしたのは平成6年と7年の2回。いづれも「横須賀市」として大蔵大臣(当時)や運輸大臣への陳情に市長や港湾部長などと同行した際でした。まずは地元出身の代議士である小泉さんを訪ね、先導していただくのです。

大変に物腰の柔らかい、小柄(きゃしゃ?)で女性的との印象でした。それでいて、大蔵大臣室でも運輸大臣室でもさっさと案内してくれる頼もしさを併せ持っていました。当時は「大臣」に直接陳情できるなどということは、珍しく(今はまったく分かりませんが)、小泉さんの根回し(実は飯島秘書官の根回し?)に驚いたものです。

陳情が終わり最後のご挨拶の際は、担当者の私にまで握手をされるその振る舞いは、決して小泉さんの支持者ではなかった私にも大変にインパクトがありました。(指は細く柔らかで、女性的との印象)

その代議士が自民党総裁選に立候補と話題になったのはそれから7年後くらいでしょうか。二男のS君から「家族は父の総裁選出馬には反対」との話を聞き、私は「政治家の本懐は「総理大臣になる事」だと思う」と話した事を鮮明に覚えています。

私が退職を目前に英会話教室も残り僅かという時に、S君が兄の孝太郎君を紹介してくれたのです。芸能界デビュー直前だったと記憶しています。あれから約6年、なかなか素敵な「俳優」になったと、本日改めて思いました。・・いや~っ!!懐かしい!

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