5月4日の午後1時過ぎ「森さん!!、Kさん宅が火事です!!」と、Sさんから電話がありました。
すぐに家を飛び出し、Kさん宅に向かいました。途中、前方の空に煙が上がっているのが見えました。
現場は国道4号線から少し入った別荘地。反対方向から別荘地に入り、Kさん宅を目指します。
いつもなら、角を曲がればKさん宅が見えます。が、消防車やその他の車両と大勢の人が、目を遮ります。
車を道路わきに停め、小走りで現場に近づきましたが、北西部の一部を除き外壁は真っ黒。
軒裏と破れた天窓から時折激しい炎が上がります。外部のウッドデッキも真っ黒に焼けています。
Kさんご夫妻を見つけ、近づきましたがご主人は茫然としています。奥さんから状況をお聞きしましたが、
どなたも怪我などは無かったと聞いて、一安心しました。
2時間ほどで鎮火しましたが、その間、ただ燃えていくログハウスを見るしかなく、何とも歯がゆい思いと、
Kさんご夫妻の落胆の様子に心が痛みました。高久町長も1時間以上現場に張り付き、心配そうに様子を見ていました。
当日、公民館の宿泊や寝具の提供などスムースな対応は町長の指示があったのかもしれません。
人口2万7千人余の町に於ける「行政の長」という存在は、とても身近なものと感じました。
Kさんご夫妻のログハウスは、10年ほど前に私がお世話し、ご夫婦で力を合わせて建てた想い出詰まるものでした。
「怪我がなく、延焼もなかったのは、不幸中の幸い」と言うのが精いっぱいでした。
Kさんは、私が請け負うログハウス建築の際、いつもお手伝いしていただく「お客さまでもあり、仲間」ですから、
私にできる事は、なんでも協力する事を申し出ました。
とりあえず、当面の生活の拠点確保と後片付けを終わらせなくてはなりません。
4日、5日の両日は地元「公民館」をお世話いただき、6日からは私の貸別荘の1つをお使いいただく事にしました。
5日の「現場検証」の後、応援に駆け付けたKさんの弟さんご夫妻と一緒に後片付けが始まれました。
6日にはいつも基礎工事をお願いしている(有)高久工業の高久社長が大型と小型のユンボ(バックホウ)と4tダンプ
を持ってきてくれ、解体工事の開始です。
7日からは、大工の棟梁カクワさん、電気工事の木沢さん、仲間のSさん高久さん親子、Kさんと弟さんご夫妻と私で
あらかたの解体とごみの搬出を行いました。
4tダンプが追加され、2台で処分場まで5往復。木沢さんが持ち込んだ2tダンプで焼けた家財を2往復。金物を1往復。
8日には長根尾さんも駆けつけてくれ、ユニットバスの床や床板の撤去、更に木沢さんが高所作業車を持ち込み、
半分焼けたヒノキを6本伐採しました。午後からはデッキを解体し、ほぼ全ての解体撤去工事を完了しました。
Kさんの弟さんご夫妻はその後も那須に留まれ、細かいものの後片付けなどをご一緒に行っていました。
私はログハウスキットの販売と建築工事を生業としていますが、Kさんのログハウス再建にあたっては「商売抜き」で、
参加したいと思っています。それは、個人事業主である私にしかできないと自負しています。
幸い、基礎にダメージは無いため、同じプランのログハウスであれば、直ぐに製作を指示できます。
Kさんご夫妻は、埼玉県にご自宅をお持ちですが、那須での暮らしを諦めたくないとの思いで、
今月末には那須塩原市のアパートで仮住まいを始め、再建に向けた準備を始めるようです。
6月から始まる予定の東京のKさん邸新築工事にも「ぜひ参加したい」とのお話も伺いました。
今回の火災は大変に不幸な出来事でしたが、改めて人の繋がりを実感しました。
私は「群れる」ことを好みませが、いざという時の「人の繋がり」「協力」は必要なものと実感しました。
Kさんご夫妻が1日も早く、那須での平穏な暮らしを取り戻せるよう全力で応援します。
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